Column

The Japanese Craftsman A Lesson in Traditional Wheel-Making Wheels Assembled Entirely from Wood Naturally Seasoned over Many Years Traditional Techniques Handed Down from the Asuka Period Continue to Live and Breathe in Gion Festival Hoko Floats

取材協力: 木造車輪製作 株式会社竹田工務店 代表取締役社長 竹田茂夫氏

さかのぼれば、人が車輪を作り、利用してきた歴史は長く、日本では、木造車輪の製作技術は飛鳥時代に確立したといわれる。そして、今もその技術を受け継ぐ技術者たちが京都にいる。驚くべきことに、構造も、製造工程も、ほとんど当時のまま。祭事に使われる山車 (だし) や鉾 (ほこ) などの車輪に、古 (いにしえ) の技が今も息づく。飛鳥時代から続く技術とは、木材で車輪を作る技術とはどのようなものか、伏見区にある竹田工務店を訪問した。

人類が生んだ偉大な発明品「車輪」 日本では飛鳥時代に誕生

 

車輪とは、ものを移動させるために用いる円形外周をもつ部品のこと。転がり摩擦がすべり摩擦よりもはるかに小さいことを利用したものだ。クルマにとって、車輪は走るためだけではなく、曲がる、止まるという基本性能を支える大切なもの。車輪の発明がなければ、今のクルマは存在しなかったといってもよい。

その起源は、世界最古とされるメソポタミア文明 (紀元前3500年) のコロ (丸い材木) までさかのぼる。車軸を通して回転可能にしたその構造は、人類の発明の中でも偉大なもののひとつだといわれる。車輪はその後、ヨーロッパや西南アジアに伝わり、中国では漢 (紀元前206~後220年) の時代に、車輪を使った乗り物が存在していたことがわかっている。

日本では、飛鳥時代後半 (650年ごろ) のものとみられる木製車輪の一部が、2001年に奈良県桜井市の遺跡から出土している。見つかった車輪はアカガシ材で作られたもので、一部が摩耗していたため、実際に使われていたと考えられている。その構造は、車輪の製作技術が飛鳥時代には完成していたことを示している。

木製車輪の出土を知った竹田工務店の竹田茂夫氏は、現場に駆けつけ、「ぜひ復元させてほしい」と申し出たという。当時、竹田氏は先代が始めた木製車輪の製造を手がけていた。「出土したのは『大羽 (オオバ) 』という外輪部分と、『輻 (ヤ) 』というスポーク部分。構造はわれわれが作っているものとほとんど同じだったので再現できると思った」と、当時を振り返る。結局、その願いはかなわなかったが、それほど車輪に対する思い入れは強かった。

 

使われているものとしては国内最大級 祇園祭の鉾の車輪を手がけて25年

京都には、祇園祭の鉾 (ほこ) で使われる木製車輪を作る技術が今も伝わる。重さ15トンもある鉾を支える車輪は、直径2mもあり、実際に動かして使用されているものとしては国内最大級。歴史的には、平安時代の絵巻物にも描かれているように、「牛車」と呼ばれる当時の貴族の乗り物用として多く作られた。それは、鉄輪をはめない木造車輪で、ボルトやクギ、接着剤などを一切使わず、木材を組み合わせて作る。鉄輪をはめない車輪は、動かすとすり減ったり、また木材の乾燥が十分でないと各部品がばらばらになりやすい。そのため、締め直したり、磨り減った部品を交換したりする必要がある。

竹田工務店が車輪の製造を手がけたのは、鉾の修復を行ったのがきっかけだった。鉾の製作と車輪の製作は、まったく別の技術だったが「車輪も作ってみては」という呼びかけに応じてその技術を習得。およそ25年前から車輪の製造に携わってきた。

円形を7等分した外輪、そこに突き刺さる3本のスポーク すべてが純国産の木材で作られた、組み立てるだけで強固さが増す車輪

天然乾燥させた木材を伝統的な技法で車輪にしていく

車輪の製造は、材料である木材を調達し、寝かせるところから始まる。乾燥状態を見ながら3~5年、天然乾燥させる。最近では人工乾燥も普及しているが、高周波で加熱する強制乾燥となるため、木材に割れが生じやすい。車輪にとって割れは大敵で、車輪を構成する40点近い部品の一つにでも割れが生じると、車輪全体が壊れることになりかねない。割れを防ぐ上で、天然乾燥の工程は重要だ。ただ寝かせる期間が長いため、注文を受けてから作業を行っていたのでは納期に間に合わない。あらかじめ木材を確保しなければならない。

車輪の製造で最も難しいのは、最後に大羽をはめる工程。ほとんどの車輪は、7枚の「大羽 (オオバ) 」とそれをつなぐ「小羽 (コバ) 」、それを支える21本の「輻 (ヤ) 」、そして中心の「轂 (コシキ) 」などで構成されている。なぜ、360度の円に用いる部品が割り切れない「7」という枚数、奇数なのかはよくわかっていないが、1500年もの間、同じやり方で作られてきた。

360度を7等分する角度を出すために用いられるのは、「さしがね」という大工道具である。直角のL字型をしており、表裏、両方の辺に目盛がある。日本で使われているものは、目盛が33分の1m単位でふってあり、長さは尺貫法の1寸になる。裏の目盛は、表の1.414倍でふられ、その数値は2の平方根に等しい。この目盛で木材の直径を測れば、丸材からとれる角材の最大幅が求められる。

先人たちは、こうした技術によって「7」という数字を基本とする部品を作り、車輪を組み立ててきた。

タイヤのルーツ 連綿と受け継がれてきた製造技術

日本では、平安時代の牛車以降、車輪は乗り物の部品としては発展してこなかったが、明治時代になり、西洋文化の導入に伴って、ようやく車輪の文化が広まることとなった。以降、日本では、人力車やリヤカーなどが普及して車輪の需要が増し、各地で多くのメーカーが設立された。

そして、今日。「以前は何軒かあった車輪製造の会社も今は皆無。おそらく京都では当社のみになった」と、竹田氏は言う。車輪は、強度を増すために、鉄の輪をはめたものが長らく作られてきたが、やがてゴムを使った「タイヤ」へと進化する。このように車輪は進化を遂げてきたわけだが、基本の大切さを考えるとき、連綿と受け継がれてきた製造技術は貴重だ。

竹田工務店にも、ある自動車メーカーが製造工程を調べにきたことがあるという。1000年以上もの時を経て継承されてきた技術、車輪の原点を知ることは重要なことである。

車輪ができるまでの主な工程

木材を寝かせる天然乾燥の工程

材料となる木材は樹齢300年ほどで、最低でも直径75cm以上あるもの。丸太で調達された材料は、100×30×21cmの四角柱に切り出され、最低でも3年、理想的には5年かけて天然乾燥させる。中心部分の「轂 (コシキ) 」といわれる部分はケヤキが使われ、他の部分はカシが使われる。カシもアカガシが望ましいが、最近では原木が不足しておりシロガシで代用する場合も多いという。また、寸法の面でも、近年は上記の条件を満たす大木が減り、材料の確保が難しくなりつつある。

A: Natural seasoning of wood

材料を切り出し、組み立てる工程

乾燥した材料から一つひとつの部品を作っていく。各部品が車軸に対して直角に入らなければならないため、「さしがね」などを使って角度を計算しながら作業を進める。部品が完成すれば、あとは組み立て。7等分された円弧状のものを、クギも接着剤も使わず、伝統の木組み工法によって組み立てる。最後の大羽は外側から内側へ、なかば強引にはめ込む。その際、スポークである輻 (ヤ) の角度を調整しながら、巨大な木槌で打ち込んでいく。このときも、角度が車軸に対して直角でなければならず、力がかかりすぎると、輻が折れたりする。ただ、いったん組み立ててしまえば、縮められた輻が元に戻ろうとする力が大羽と小羽を支え、どこかが破損し、割れない限りは外れることはない。竹田工務店では、部品をはめ込むときの専用の油圧ジャッキ、車軸に対して直角に穴をあけるボール盤を内製化し、作業性の向上を図っている。

B: Construction of parts, wheel assembly

円形に切り出され、完成にいたる工程

車輪は組み立てられてから円形に切り出される。円形にするために、4角形を8角形に、そして16角形にという具合に、角を切り落としていく。最後には飾りビョウが打たれ、塗装が施される。祇園祭の鉾に使われる車輪は、一輪の重さが500kgほどにもなる。用途にもよるが製品寿命は100年以上。その間、壊れた部分のみを取り換えて使用する。祇園祭では江戸時代初期 (1600年代) に製作されたものも、いまだに使われているという。「壊れたところだけを修理して息長く使う。それが木造の良いところ」と、竹田氏は語る。

C: Rounding and finishing of wheel

車輪各部の名称

Wheel part terminology